2020.6.7の記録

どんな写真を撮る人なのか知らない。そんなことをついこの前言われてしまって、たしかにTwitterのプロフィールに写真をやってると書いているとはいえ、自分でもわかりにくいなぁと思った。逆に仕事で僕が撮る写真をずっとみてくれている人からは、ライト組むより自然光の中で撮った写真の方が君の写真はいきると言ってもらえたこともある。正直めちゃくちゃ嬉しかった。ライトを組む技術がないと言ってしまえばそもそも自然光だって、光を読む力がないと言っているようなもんだけど、実はライトの組み方をよく知らない。いや、バリエーションが少ないと言うか、まだまだ練習しないといけないなと思う。そもそもどんな写真を撮っているのか分からない、どうなりたいのかわからないと言われてしまうと、実は僕もこれだと明確なことはまだ言えない。撮影術を売りしているとどこまで自分の感性を残すか判断に迫られることがある。我を前へ押し出すにはまだ少し早い。とはいえ、仕事を受けるたびに自分を殺し続けていては何も伝わらない。自分のフィルターを通して頼まれたことを形にしていくというのはなかなかシンプルにはいかない。

写真のことしか知らない、そんな人が撮る写真はつまらないと最近はよく考える。そもそも写真のことさえまだわからないことが多い。自分が撮る写真を通して、自分自身が気づけないようなことも気がつけるような気がしていたけど、撮るという行為の前の観察力がまだまだ足りていないのかもしれない。撮影術だけではなくて、それ以前に物事と対峙する姿勢を少し変えたい。見るという行為は見られる行為と同位置にあって、撮って見る前に僕自身も見られているということを忘れてはいけない。見る見られることの間には、お互いへのリスペクトがないことにはベストな関係性は生まれない。それが人であっても静物であっても。

最近、花に興味が湧いてきた。といっても見たところで花の名前はまだ全然わからない。静物なのに生きている植物。何年か前に食虫植物をベランダで育てていたことがある。虫が捕まってるところは見たことがない。捕食されるところを見たくて自分から餌付けをしてみた。無駄に葉っぱを開閉させてしまうとその動作にたくさんのエネルギーを使うみたいで、葉が枯れてしまうらしい。食虫植物も生きるのに必死なわけだ。

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