2020.7.5の記録

‪本来撮る(見る)側の人間は一方的に被写体を見ないといけないんだけど、こちらも相手から見られているという体験は、一方的にこちらの都合で撮る(見る)という構図を破壊してしまうという意味でカメラを構える人の消滅を意味するんですね。つまり、一方的な撮り手である自分が消えたというのは、見るという行為が相互に作用して見る見られるという関係になれたということ。それすなわち、お互いにリスペクトがないと成り立たない関係わなけで、それが経験できたのが小田急ラインだったわけで、大前提としてお友達という関係があってこそなんだけど、‬心を許してる許してないとかそういうレベルじゃなくて、「写真」の性質という枠で説明しようとするならこういうことな気がする。友達の写真は友達がいれば誰でも撮れるってよく言われてきたんだけど、ただの思い出写真から次の段階に踏み込むにはここに気付けないといけなくて、‪もう撮らなくなってしまったのは、無意識のうちにそこに気づいてしまったので完結したということ。。。なんかスッキリした。。。プロペラずっと見てると逆回転してるように見えるあの感覚に似てる。‬

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